ニードル、ファースト、14G
誰がロックを殺すのか 現行未通過❌
茹だるような熱気に溢れた夏を越え。
物悲しくも美しい落ち葉の季節を越えて、薄ら雲が常に掛かり通しの陰気な冬へと様相を変える頃。
簡素な葉で寒々しく立ち尽くす街路樹も少なくなる、街の外れ。
行き交う人は然程多くない裏路地にそのビルはある。
見る限りは何の変哲もない、何処にでもありそうな鉄筋造りのビルは、一軒まるごとの所有であるのか、細かな看板は出ていない。
ただのビジネスビルにも見える其処、実はある一部の者達の間では有名な場所であり、TBoRWの練習のために事務所が用意したスタジオであるというのが本質だ。
傲慢な芸術の神を屠って暫し。
世間的には大きな竜巻事故が起こり、彼らはそれに巻き込まれて負傷したとして一線を退いた。
負傷というと大袈裟だが、マスコミが書いたことだ。
神の恩恵を失った、ヴォーカルのサイモンは幼い時分から発症していた難聴を再発させ音を聞き取ることが困難に。
ベースの広瀬はもたらされていた天才的才能を失い、以前のようなベース捌きが出来なくなった。
プロとして続けることは出来ない、事務所と相談しメジャーからは退くことを決めたがこぞってマスコミは何処からか情報を聞きつけ、面白いように書き綴った。
それによれば、特に広瀬の方は利き手を怪我して再起不能だとか。
以前のように弾けないのだから、間違ってはいないと苦笑した広瀬の横顔はそんな時ばかり妙におとなしくて気味が悪かった。
だが無論、好き勝手に言われ手をこまねいている彼らではない。
猛特訓を開始したのだ。
始めこそあまりに大きい違和感ばかりで衝突することも多かったが、季節を越え、サイモンの聴覚障害には最先端の医療技術が発見され、広瀬のベースの腕も少しずつ、だが着実に前進した。
メジャーを下りてからも事務所は支援を続けてくれ、おかげでスタジオでの濃密な練習を積み重ねることが出来たことも大きい。
TBoRWは今に、再起しようとしていた。
しかし。
演奏が形になればなるほど何処かで鈍い痛みが走るように、無視しきれない違和感が増すことに、彼らは皆気付いていた。
その一端こそが、広瀬だ。
彼は15歳のときに7歳年上の彼等のもとに現れた。
いわく、「このバンドには足りないものがある」と。
当時天才ベーシストとしての才能を思う様奮っていた彼にとって、TBoRWの前身であったバンドメンバーの中の、ベースの腕は彼等にそぐわないものだったらしい。
要するに本人が彼等の大ファンだったのだ、それ故に半端な演奏者が許せなかった。
折も良く、元々そのベースも抜けることが決まっていたため、繰り上がりで…いや、まだ中学生であった広瀬は保留のサポートメンバーとなり、高校卒業を待って正式加入となった経緯がある。
ほんの一筆こう認めただけでもありありと分かる、彼は心の底からTBoRWを愛する男だった。
そんな彼が、才能を失ったのだ。
望む望まないに関わらず、与えられた才能に胡座をかいていたわけでは決してない。
いや無いつもりだった、といったほうが正しいのかもしれない。
演奏に手を抜いたことなど一度もなかったが、奏でたいように奏でることが今までは出来ていたのだから、他の誰かのように努力を惜しまなかったとは言い難い。
今や何処にでも居る有象無象の、ロックが好きでベースが弾ける、唯のバンドマンだ。
ベースが弾ける。
そう言えるまでの腕に戻るのに時間はかからなかった。
ロックを始める前から楽器に触れてきたその手は、音楽を紡ぐこと自体には難を示さなかった。
だが決定的に足りなかったのはカリスマ性、青臭い言葉で言えば魂と言い換えてもよい。
ロックに限らず芸術というものは、上手いだけで人を惹きつけることは出来ない。
音楽に魂を込める、人を惹きつけるある種麻薬のような、脳を痺れさせる快感を生み出してこそだ。
…それは、弾けるだけの腕には宿らない。
楽器の鳴り止んだスタジオに、しんと重い沈黙が落ちる。
「……通しは問題ないな。」
「ああ、いけるな。モン吉、2番の出だしやり辛いか?」
「いや、まだ慣れないだけだよ。すぐ覚えるからこのままで。」
乾いた風が吹き付けたか、はめ込みの窓がカタン、と音を立てて軋んだ。
楽器の音でじんじんと痺れた耳にもそれは届き、それぞれに、沈黙を破る。
この新曲、問題はないと。
あるいは気になる所は出だしくらいか、と。
またあるいはそれも問題ではない、このまま行こうと。
「…本当に問題ないと思ってる?」
「…ヒロ。」
中々口を開かない広瀬を、各々にちらりと見やれば彼はうなだれるように俯いて、長い黒髪が垂れたまま。
表情をうかがい知ることも出来ないが、ポツリと漏れた言葉はその前の三人の言葉を否定するようなものだった。
「分かってるくせに…”このまま”じゃダメなことくらい…」
「…また泣き言か。」
「裕次郎…」
続けて漏れ出す後ろ向きな言葉に、何を言いたいかくらいこの場にいる誰もが分かっていた。
思っていた演奏になっていないだろうと。
広瀬は己のパート、ベースの音が皆のほしいレベルに達していないことにしかと気付いていたし、三人がそれでも見捨てずに”聴かせられる”レベルに腰を据えようとしたことを理解していた。
そうなってしまうのは紛れもなく自分のせいで、いくら努力してもまだまだ彼等に追いつけない歯痒さがどうしても胸を締め付けて苦しくなる。
「ヒロセも悔しいのは分かるが、荒んだ声を出すな。揉めたいわけじゃないんだろ?」
「言ってんだろ、お前がどんだけヨチヨチになろうが関係…」
「ないわけないだろ!!でも妥協なんて出来ない!俺を諦めるなよ!!!」
「…ヒロセ。諦めてないよ、分かるだろ?」
乾いた風に枯れ葉が乗って、カサカサと宙を舞い、窓辺を掠めていく。
どこか物悲しい寂れた風と色味のない空は、余計にこのスタジオを埋め尽くした息苦しさを助長させているように感じた。
同じように満ちる沈黙だが、先のものよりずっと重い。
「……ごめん、頭冷やしてくるね。」
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ガツガツとブーツの大きな足音を立てて通路を歩く広瀬。
行き先はこうなればお決まりのトイレで、ビルとはいえ今日は他に使う人もおらず、辺りは静まり返っている。
用を足すでもなく、手洗い場に佇み、洗面台に両手をつく。
顔を上げれば鏡に映り込むのは広瀬自身の顔だ。
伸びた髪、細くなった顎先、釣り上がる目尻。
蛇口を掴む手から伸びた腕には、蓮と黒猫をモチーフにしたタトゥーが巻き付き、目線もずいぶん高くなった。
ロックというものに惚れ込んだあの日から。
育ったのは外見だけなのではないか。
蛇口から手を離し、拳を握りこむと、力の入りすぎた指先は白んで小さく震えた。
行き場のない、誰のせいでもない怒りと、己自身への不甲斐なさに胃の奥底が焼けるように熱い。
感情の矛先を見つけられず再び顔を上げても、鏡の中の己は打ち捨てられた犬のような、情けない表情を浮かべるばかり。
そんな己の情けなさが、この上なく悪いものに見えて拳を振り上げる。
…けれど、それは鏡を殴りつけることも、蛇口に打ち付けることも出来ずに静かに降ろされた。
手を粗雑に扱うことは出来ない、幼い頃から染み付いた癖ばかりそのままで。
見た目ばかり大人になっても、こうして癇癪に手を上げて、どうにもならないと嘆いてみせる。
ああ、自分は幼子の頃からまるで変わっていないじゃないか。
はら、り。
頬をひとつぶの涙が伝う。
はっとして拭おうと手の甲を押し当てるが、一筋落ちてしまえばもうそれは呼び水。
いくつもいくつもボロボロと、ぬるい涙が鮮緑色の瞳から零れ落ちて手の甲を濡らし、その隙間を伝って頬へ落ち、顎まで下って洗面台に落ちる。
「…っ、くそ…泣き、たくない…」
口にしたところで涙のほうが空気を読んで辞めてくれるはずもない。
だがそれでも、泣きたいわけじゃないのだと口に出さなければ、そのままみっともない声を上げて泣いてしまいそうだったから。
嫌だ、違うと否定の言葉をくぐもらせ、ごしごしと目尻を擦った。
思えば、ロックを初めたばかりの頃もそうだったかもしれない。
ずっとバイオリンをやってきたおかげで、基本的な「弾く」という行為についてはすぐに身につけることが出来た。
それなのに、自分が奏でる「音」はちっとも、己が興奮したあの熱を持っていなかったのだ。
初めは単純に始めたばかりだから技術が足りないのだとそう思っていた。
だが続けるほどにまざまざと理解してしまう。
足りないのは技術ではない、と。
足りないのは才能だ。
演奏が上手いだけではない、上手いだけのものなら星の数ほども居る。
その中でも人々の心に熱を灯せるのは、魂を震えさせることが出来るのは、ごく一部の才能ある天才たちだけなのだ。
まだ幼かった自分はその事実に早々に気づき、打ち拉がれて泣き潰れた。
だがある時その才能すらも凌駕し、開花の時を迎えた…奇妙な神の存在によって。
当時は疑うこともしなかったのだ、やはり自分は天才だったのだと受け入れるだけの、幼稚な夢見るミュージシャンだった。
しかしそれを奪われた今、また己は「弾けるだけの木偶の坊」に成り下がり。
更には弾けていたはずなのに、と過去の己にまで嫉妬して怒り、泣く、馬鹿で稚拙な生き物に成り果てた。
鏡に写るのはベッタリと頬を涙で濡らす情けない男一人。
長髪、ピアス、タトゥー…どれもロックに憧れて手を伸ばした、それぞれが誇り。
「………そうだ。」
あまりの情けなさに我ながらと苦笑を漏らしたところで、ふと思い至る。
幼い頃、思うように弾けなかった、でもどうにかして這い上がってやろうと湧き上がる反骨の精神に駆られるままに打ち立てた誓い。
何者でもない、自分自身への根性試し。
蛇口をひねり、勢いよく吹き出した水をすくうと、乱雑に顔を洗い、腕でぐいと拭って水を落とす。
まだ目尻は赤いし、髪もぐちゃぐちゃだがもう泣いてはいなかった。
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「…ヒロセ、遅いね…」
広瀬がスタジオを飛び出していってからどれほどの時間が経っていただろうか。
スタジオに残っていた三人がちらりと窓の外へと目をやれば、もうだいぶ日も傾いて夕方といった頃合い。
本来であればそろそろ練習を切り上げる目処を立てる時間だ。
切り上げの時間を見計らってマネージャーの匠も足を運んでくれたのだが、ビルに入り、通路を通ってスタジオまで、その道中に広瀬の姿はなかったと言う。
追うなと言って見送った裕次郎であったが、てっきり篭もっていると思っていたトイレにも広瀬がいなかったことで、追うのを止めた時の心持ちとは多少変わっていた。
無論いなくなっていたことはあとの二人にも伝えられ、サイモンは相変わらず心配そうに置き去りにされたベースを見つめていたし、紫は暮れていく空を見やって眉をひそめていた。
彼に限って「ここ」からいなくなってしまうなんてことは、ないだろうけれど、と。
どちらにせよベースが抜けたままでは練習の続きは出来ない。
今日はもう切り上げようと各々が楽器の片付けようとした、その時。
バン!
と、勢いよく扉が開け放たれた。
突然の乾いた音と、スタジオに流れ込んだ気温の違う空気に驚いて三人とマネージャーがそちらに目をやると、其処には予想通りというか、暫し前にスタジオを飛び出して行った姿のままの広瀬が立っていた。
「お前…何処行ってたんだよ!」
思わず裕次郎が声を荒げると、素直にごめん、と頭を下げるのでそれ以上怒れなくなってしまう。
これが計算ずくで無いというところがまた困ったところだが、一番年下の憎めない特権といったところだろう。
「俺…やっぱり、諦めらんないから…絶対、欲しかった音、取り戻したいから」
何事か誓うかのように漏れ出す言葉は決意そのものであろうが、それを聴く皆は彼の意図をつかめず、きょとりと目を丸くする。
スタジオに戻ってきたことも、諦めないと言ったことも素晴らしいに違いないが、思うに彼はその言葉だけで終わりにするつもりではなさそうだ。
状況が理解しきれないままぽかんと広瀬を見ていれば、不意にポケットに手を突っ込むと手のひらに収まる程度の小さな箱を取り出し、パッケージを開け始める。
「”あの時”の悔しさ、もう一度…跳ね除けるから!!」
これは誓いだと声を張り上げる。
スタジオ照明にキラリと反射したての中のそれは、細長い針…ニードルだった。
意図に気づいた瞬間には、もうその切っ先は深々と広瀬自身の舌を突き刺し、いや貫通し。
元々一つ定着していた舌ピアスのすぐ下に新たな穴が開けられた。
痛みにビクリと肩が震えるが、噎せ返りながらもその舌を思わず引き戻すことはしなかったらしい。
己でやったくせに衝撃に唾液でも逆流したのか、噎せるたびに舌から鮮血が溢れ出し、唇を汚して顎に伝う。
貫通しきっているのだ、ぼたぼたと垂れるほどではないが、粘膜の出血はみるみる滲んで口端を赤く染めていく。
「…!?お前何してんだよ!」
慌てて裕次郎が駆け寄ると、確かにそのニードルは舌を貫通している。
顔を伺おうと覗くが、長い髪に隠れて表情が見れたものではなかった。
ただ気をやっているわけではないようで、噎せるのが収まれば、次第に息も整い始め、ニードルを引き抜くと、ともに握っていたストレートバーベルを捩じ込んでみせる。
痛みは思うほど無いのだろうか、低いうめき声が漏れるがそれも少しのことで、すぐに真っ赤に腫れた舌にはピアスが2つ、並ぶことになった。
「…匠、うがい薬と氷買ってきて」
「え!!は、はい!」
事の次第を見守っていた紫が呆れたように嘆息をつく。
他の奇抜な部位に比べればセンタータンのピアッシングは痛みが少ないというが、それにしてもこんな水場すら無いところで立ったまま開けるものではないだろう。
驚く他のメンバーを宥めるように立ち上がると、傍で広瀬くん!?と慌てふためいていたマネージャーを呼び寄せ、消毒用と冷却用の買い物を頼んだ。
その言葉に現実に立ち戻ったマネージャーはコクコクと何度も頷くと、慌ただしくスタジオを飛び出して行った。
今時どちらもコンビニで用立てられるものだ、それを広瀬本人が買ってこなかったのが呆れるポイントなのだが、優秀なマネージャーはすぐに買い揃えて飛んで戻ってくるだろう。
「むぅくん」
「…うん。」
「ヒメちゃん」
「おう。」
「もんきちくん」
「ん。」
「おれ!ぜったいあきらめないから!!!!!」
「最初からそう言ってんだよ、ボケ」
1つ目の舌ピアスは中学生の頃、ロックに傾倒してすぐに、その熱量に浮かされて開けたと言っていた。
ならばこの2つ目は、同じくロックに向き合うことを、改めてここから始めようという決意の現れなのか。
なんにせよ、何某かの誓いの形が欲しかった、そういうものだったのかも知れない。
一人満足したように頷く広瀬の後頭部を、裕次郎が勢いよく振り抜いた、乾いた打音が響き渡った。
「……ヒロセ。」
と、ふと成り行きを静かに見守っていたサイモンが口を開く。
「夏の旅行、大丈夫?」
はた、と投げかけられた問い。
実は来夏、決起集会よろしく旅行の計画を立てていたのだが。
「あー!!!ろうしよう、べろいたくてごはんたえられないかも!!」
「今まさに腫れ始めたしな」
思い切りよく開けたピアス、粘膜を貫くそれは傷でしかなく。
じんじんと痺れ、熱を持ち始めた舌は今に腫れ上がって口中を蹂躙するだろう。
裕次郎が指摘した通り、だんだんと腫れ始めた舌の痛みか、痺れの方か広瀬の呂律も怪しくなり始める。
果たしてその腫れはいつまで続くだろうか。
せっかくの旅行時、地元の選りすぐりの食材が…楽しめるだろうか。
匠が買い物から戻ってきたのであろう、通路をバタバタと走り戻ってくる足音も響いており、物悲しい冬のスタジオから一転。
粗雑で騒がしく、男くさくて明け透けに明朗な、いつも通りの空気感に戻ったスタジオは笑い声に包まれる。
空はすっかりと日が落ちた紫と黒のグラデーション。
外に出ればひんやりとした風が吹き、肌を刺すことだろう。
季節は巡り、時は無残にも進んでいく。
そうしてきっと、失ったものもあれば、得るものもある。
一度失くしたものが、再び舞い戻ることだって、きっと。
#誰がロックを殺すのか 後日談
2021/4/21
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