吾輩は観葉植物である

愛罠蜂 現行未通過❌




吾輩は観葉植物である。

名前は…種類的な意味ではあるが、人にそう呼ばれていないものを名前とは呼ばないだろう。

故に名前はまだない。


吾輩は狭いプランターの―――いや背丈や根の張り具合から言って決して狭くはないのだが、植物という命であるが故にほんの一角しか見渡すことが出来ないので、便宜上そのように表現している―――中からあたりを眺め、日々を過ごす。

木目の多い優しい店内にはショーケース、レトロなインテリア、鶯色の暖簾と、大きな窓から道行く人々の笑顔が咲く。

この和菓子店のイートインスペース、其処が吾輩の住まう城である。


店に差し込む日は朱色を帯びて、段々と客の入りも少なってきた。

時刻は夕暮れ、じきにイートインスペース、販売店舗と店じまいの支度を順々に始めることだろう。

吾輩がそう思ったのが聞こえたのか偶然か、一人の男が布巾を持ってイートインスペースに足を向ける。

お凡そ和菓子店には不釣り合いな大柄な男。

背丈どころか、布巾を持つ手も、草履で歩くその足も大きい此奴はこの店のバイトである。

少し前に店先をソワソワと覗き込んでいたと思えば、いつの間にやら招き入れられて、すっかり居着いた。

その大きな手と、まるで蛇か蛟のような鋭い眼光に始めこそ無碍に引っこ抜かれるのではと恐れたものだが、なんてことはない。

いざ付き合ってみれば此奴は思った以上に繊細に葉を拭いてくれるし、こまめに土の具合を確かめて水やりをしてくれる。

大事にされて観葉植物冥利に尽きるというものだが、ただやはり、苦手を拭いきれぬこともある。

先程吾輩の思いが聞こえたか、などと言ったが、普通植物の声など人間に分かるはずがない。

分かり切った比喩表現だときっと読み流したことだろうが、実はなまじ例え話でもないのだ。

此奴は表情が乏しく、淡々と仕事をこなしている。

客が来れば営業スマイルというやつか、打って変わってにこやかに笑って見せるので接客には支障が…話が逸れたが。

この男、時折ゾッとするほど不気味な表情を浮かべるのである。

普段と変わらぬ無表情だが、瞳の奥に憎悪の炎を揺らめかせるような。

そんな時、ボソリと我輩に話しかけるのだ。

『引っこ抜かれたくなければあの人を守れよ』と。

観葉植物に話しかけると言えば、こんにちは!とか、いい天気ね!が定番ではないのか。

なぜ吾輩にはそのように呪わしい言葉を投げかけるのだ。

兎に角そんな訳で、此奴のマメな世話は気に入っているが、どうにも恐ろしいという感情は拭えないのであった。


ふとすると、テーブルを掃除している間にもう一人の男が厨房から現れる。

白い割烹着に身を包んだバイトよりも年嵩の男で、やんわりとした花のような笑顔を浮かべている、この店のオーナー兼シェフである。

彼の穏やかな笑みはまこと花に例えるのが相応しいとも思えるが、吾輩は知っている。

それが作りものであることを。


まだバイトが入る前、接客も菓子作りも一手に行っていた彼は疲労していた。

客がいる間はいい、だが閉店してからはすっと仮面を取ったように花もほころぶ笑顔は剥ぎ取られ、うっそりと毒づきながら金勘定をしていたものだ。

此度の笑顔もそれで、ぐるりと店内を見回して客が一人も居ないとわかると、あっという間に花は散った。

それどころか、眉を吊り上げ舌打ちでも聞こえてきそうな怒りの表情へとじわじわ移り変わり、つかつかとイートインスペースのバイトの元へ踏み寄った。



………。



どうやら、バイトの接客について苦言を呈しているらしい。

苦言というのも何か、その、何だ。

笑顔を振りまくなとか、釣りを渡す時手を握っただろう、とか。


…吾輩は知っている。

と言うか、予想がついている。


彼らはほんのひと月ほど前、詳しくは分からないが店内に閉じ込められるという騒動に出くわしたのだ。

生憎吾輩は観葉植物ゆえ、厨房やオーナーの私室に引っ込んでからの二人の様子はわからない。

だが声や音は聞こえていた。

何か物が落ちる大きな音や、追いかけっこでもしてるのではという荒い足音と熱っぽい声。

そして次の日から二人それぞれの指に、首に、輝いていた揃いの金属。

きっと想いを通じ併せ…いやここは俗な言い方のほうが案外いいだろう。

此奴ら、デキたな、と。


その日からオーナーは吾輩の前でくらいしか出していなかった素の表情を、バイトの前でもまろび出すことが多くなり、反対にバイトは彼の前で無表情が保てず目尻を下げていたのを何度も観測している。

つまり、今回の接客の苦言も、所謂、嫉妬というものだ。

などと思い返しているうちに両手を握られ、真摯に浮ついた愛を語らうバイトの様子に、すっかりオーナーは機嫌を直した様子である。


仲がよいのは良いことだが、このバイト。

実際このようにオーナーがほだされるよりずっと前から幾度も閉店後の店に忍び込み、好き放題していたことはもう知らしめたのだろうか。

無論言う必要はないだろう、だが吾輩は観葉植物ながら思うのだ。

このバイトの全容を知っていたほうがよいのではないか、と。

吾輩は観葉植物ゆえ、この狭い鉢から抜け出すことは出来ない。

目の前で何が起きても、逃げることも、顔を覆うことも出来ないのだ。

ガラス張りの店内は通りに面していて非常に開けた空間であるが、イートインスペースの一角、観葉植物や棚が置かれたここは、通りから死角なのではないだろうか。

まして、背もたれのあるソファ、広いテーブルの誂えられたここで…ナニカ…

いや、流石にそれは、年嵩であるオーナーが…手綱を引いてくれることと信じよう。


そんなこんなと意識をあらぬ方へ飛ばして思い悩むうちに、閉店時間となり、彼らの声音が格段に甘くなったのを感じる。

吾輩は観葉植物であるので意味はまあ…分からないが、「あの時は必死で」「ちゃんとやり直したい」などとバイトは熱心にオーナーを口説いているようである。

オーナーはそんな彼に「おこちゃま」だとか、「まだ早い」だとか大人ぶって叱っているようだが、その真っ赤な頬と期待を捨てきれない潤んだ瞳では、陥落も時間の問題というところか。



さてさて、いよいよ暖簾が下げられ、照明が落とされた。

彼らは片付けが残っているのか、違うのか、厨房に共に引っ込んでいったようである。

これで今日の吾輩の回想も終い。また明日生き生きと葉と花弁を広げて客を出迎えるために眠るとしよう。


吾輩は観葉植物である。

名前は…ああ、そうだ。

名前かどうかよく分からないが、最近オーナーによく呼ばれる呼称があった。

吾輩を固有名詞として呼ぶそれが名前だというのなら、吾輩の名はそれであろう。

それならばやり直さねばなるまい。


吾輩は観葉植物である。

名前はエビフリャー。




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